最近、「研究所のガラスビンの中にしまってある天然痘ウイルスを無くしてしまってもいいのではないか」という新聞の記事が出ていました。そうです、「天然痘をもう地球上から退治してしまった。」と1980年に世界保健機関(WHO)は宣言していたのです。新しく生まれてくる人たちは予防接種をしなくても天然痘に罹る心配はないのです。天然痘は東アジアから広く世界に拡がった伝染病で、日本では8世紀頃に発生していたと推測されています。ヒトからヒトにと移り、高熱を伴い、全身皮膚に水ぶくれが出て、30〜40%のヒトが死亡する恐しい病気でした。日本では予防接種により近年ではほとんどみられなくなっていました。しかし、今から20年ほど前には地図で見るように40あまりの国々で天然痘の流行があり年間1000万人の人々が罹っていたのです。そこで、WHOは240万ドルのお金を注ぎ込んで天然痘をなくしてしまおうと計画をしました。この計画ではワクチンを使って天然痘の発病をあらかじめ予防して拡がるのを防ぐ方法がとられました。天然痘ワクチンは1796年にイギリス人医師エドワード・ジェンナーによって初めて作られました。 「牛にもヒトの天然痘によく似た病気(牛痘)があり、人にも移るけれど天然痘のように重たくならないで治ってしまう。そして、その人は天然痘には罹らない。」という牛乳搾りの農婦からの話を聞いたのをヒントに牛痘の病巣からの浸出液を使ってワクチンを作り、それを8才の少年に接種して天然痘に罹らないことを確かめました。今からちょうど200年前のことです。この後、諸外国でこのワクチンの効きめは確められて、天然痘の予防法としてひろまってゆきました。ですからワクチンには生きた牛痘ウイルスのある数が混ざっています。このウイルスは300ナノメートル(1ナノメートルは10億分の1メートル)ととても小さく、生物に寄生してのみ増殖する遺伝子と蛋白質から出来ている粒子です。

 
 

1967年当時の人口10万人における天然痘患者数の世界における分布

 

 ワクチンによる予防接種といっても、天然痘の流行している土地はアフリカ大陸など主に熱帯地方でした。この地方でも効き目が減らないようなワクチンを作ること、ワクチンが良くつくような接種方法を開発しなければなりませんでした。また、天然痘の流行している土地を見付けて拡がらないように予防接種を能率よくおこなうにはどうしたらよいか。接種した後、天然痘の発生の数の減り方はどうかをどのように調べるのが最もよいか工夫がなされました。さらに、現地で使用するワクチンを作る技術者や、ワクチンを接種する人達の教育も同時に行なわれました。このようにして計画を実際に行ったのは日本の蟻田功、アメリカのドナルド・ヘンダーソン、オーストラリアのフランク・フェナーの三人の博士たちでした。この計画の成功をあやぶんだ人達は多かったのですが、三人の医師の努力と国際協力とにより1977年には天然痘の流行はおさまってしまったのです。それからは専門家による天然痘の発生がないか確める作業が続きましたが、ついに1980年には地球上のどこにも天然痘はみられない、根絶したとWHOが認めました。

 
 

 三人の博士には、日本の国際科学技術財団が日本国際賞を贈って、その功績を称えました。財団の掲げた「人類の繁栄と平和に著しい貢献をなした科学技術研究者に贈る」とした主旨に価する快挙でした。
 しかし、天然痘を根絶したと言って安心はしていられません。地球上にはまだまだ多くの恐しい病気が人類により克服されないで残っています。今年の夏の大腸菌O-157も記憶に残っている病原菌です。WHOでは天然痘撲滅計画を行っている間に得られた方法、すなわち予防医学と国際協力をとり入れた事業のすすめかたを応用して小児マヒの撲滅計画を実際に行い始めました。人類の最大の敵は病気と戦争だといわれています。病気との戦いの歴史は長くこれからも絶えることなく続いて行くと思います。
(大津 裕司)

 

「1967年当時の人口10万人における天然痘患者数の世界における分布」の図は、Nature(Vol.279 P294)より許可を得て転載させていただきました。ここに謝意を表します。

 
   
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