1895年12月28日にレントゲンは「ヴュルツブルク物理医学協会会報」にX線の発見を次のような言葉で発表しました。
 私は“新しい放射線は「エーテル」の縦波である”という考えの正しいことをますます確信したため、あえてこの推測を発表する

 この発表では「エーテル」という言葉が使われています。これは当時、世界のもと(元素)に対する古代ギリシャからの考え方が未だ残っていたからです。
 古代のギリシャ人の考えではこの世界のもとは四元素で、それぞれ“自然な場所”が決まっていました。“運動”とはものが“自然な場所に向かう”ことで、下から順にいうと土、水、気、火です。そして大哲学者のアリストテレスはさらにこの上に第五元素(エーテル:ギリシャ語=燃える)というものを付け加えました。「エーテル」は宇宙に充満する聖なる天上の物質で、星や太陽など燃える天体の素だというのです。
 中世にはアラビア人が錬金術、今でいう化学を発展させていましたが、金ばかりでなく第五元素も探していました。無色透明、麻酔性で揮発しやすい(自然な場所、天上へ向かう)燃える液体を得た時、これこそ、ギリシャ人のいう天上の物質「エーテル」だと思ったのです。
  近世には光は「エーテル」の波だという説、後には、さらに詳しく横波だという理論が展開されますが、電波が発見され、しかも横波であることがわかり、この理論は実証されます(1888年)。

さそり座X-1:四角は1966年すだれコリメーターを搭載したロケット観測でX線星だと決められた位置である。青い光(左)と紫外線(右)の像。X線星は紫外線も強い。右下のスケールは5分角。


ウィルヘルム・コンラッド・レントゲン
(1845.3.27〜1923.2.10)

1895年12月28日発表の最初のX線写真

(レントゲン夫人の手)
   理論をさらに検証するため、未知の電磁波(光や電波)は無いか、先を争って「低圧気体の放電現象」(ネオンサインのようなもの=プラズマ)を研究していました。これがその時代の科学者に手の届く「ミニ宇宙」だったのです。レントゲンもこの最前線にいた一人として放電による電磁波を研究していました。低圧気体の放電現象を調べる放電管から、それまで知られていたどんな光や電波とも違う電磁波が出ていることを突き止めた時、レントゲンは未だ見つかっていない「エーテル」の縦波を見つけたと確信しました。
 1905年にアインシュタインが発表した相対性理論により、空間(ものや電磁波のある場所)に対する考え方が大きく変わり、「エーテル」は元々存在しないことが明らかにされました。X線は、原子を構成している電子が何らかの原因(例えば放電)で外へ跳び出し、再び外から電子が跳び込んだ時に生ずる原子の余分のエネルギーが電磁波になったもので、波長が紫外線より短いことは、X線による結晶写真から明らかになりました。
 原子ではなく、原子核の変化で生じる電磁波がガンマ線で、X線よりさらに波長が短いものです。最初のガンマ線の発見はラジウムが壊れて出来るラドンの原子核からのもので、X線の発見よりずっと後になってからです(1914年)。
 医療におけるX線の重要性は、初めから明らかでしたが、X線断層写真の普及一つとってもこの100年間における進歩は著しいものがあります。
 実生活への科学技術の浸透、あるいは生活の科学技術化は現代人にとって日常茶飯事になりましたが、ここでまた宇宙に戻って締めくくりましょう。X線を出す星(X線星、パルサー)が1962年に発見されました。小田稔博士(当時 東京大学宇宙航空研究所)が簾(ブラインド)からヒントを得て創った装置で、新しい宇宙像が見えてきたのです。初めは人の体内や、結晶などミクロ世界の探究に使われたX線でしたが、今では宇宙というマクロ世界で中性子星やブラックホールなど星の誕生・消滅の探究に欠かせないものとなりました。
 創意工夫のきっかけは私達の身近な所に沢山あるのではないでしょうか。
(荒谷 美智)

「さそり座X-1」の写真は、小田 稔博士のご好意により、ご了承を得て掲載したものです。ここに謝意を表します。

 
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