人類は洋の東西を問わず、大昔から大空に憧れを抱いてきました。空に神や仏の国を考えた人達、月に天人の世界を考えた我々の御先祖様などいろいろですが、空へ、その彼方へ想像を走らせ、行ってみたいというのは人類共通の永年の願望でした。それを最初に実現したのはソ連のガガーリン宇宙飛行士で、約35年前のことでした。米国も少し遅れて有人飛行を行ない、米ソの宇宙開発競走を中心に、日本を含む世界主要国によって宇宙開発が続けられてきました。今回は、この宇宙開発の進展と共に歩んできた宇宙食の歴史と将来の宇宙食としてどのような物が考えられているかということについて、簡単に触れてみたいと思います。

初期の宇宙食(マーキュリー、ジェミニー時代)
 アメリカの宇宙開発の初期時代にあたるマーキュリー宇宙船(1962年打ち上げ)でも、地球を何周も廻るようになると、滞在時間も長くなるため、食糧を持っていくようになりました。これは、いろいろな食品を混ぜて練り上げたものをチューブに入れたもので、味はひどかったらしく、当時の宇宙食はまずい物の代名詞のように言われていました。

中期の宇宙食(アポロ、スカイラボ、スペースシャトル時代)
 しかし、月に向ったアポロ宇宙船(1968年有人飛行開始)やその後のスカイラボの時には冷凍法やら真空パック方式等が用いられ、かなり豊かな食事になりました。スペースシャトルの時代(1981年〜現在)になると、プラスチック容器に入れられたものが食物と飲み物の両方に用いられるようになりました。乾燥物が中心で、スープやコーヒー等もあり、水やお湯を加えて食べたり飲んだりします。メニューも非常に増えてきて、ステーキやチキンのほか、生野菜、果物などもあり、現在では100種類以上になっています。最近は、宇宙飛行士の好みの物も持っていくことが出来るようになりました。毛利さんや向井さんが、日本の宇宙食を持っていって食べた事は皆さんもご存知の通りです。しかし、好きな物は自由に持って行けるかというと、何々そうはいきません。飛び散る恐れはないか等の安全性や細菌検査等に合格した物のみが許されます。向井さんが希望した納豆はあのねばねばした糸のため、安全性の点(?)で駄目だったそうです。

 

 
宇宙食の発展
1:マーキュリー時代 2:ジェミニー時代 3:アポロ時代 4:スカイラボ時代
5:スペースシャトル時代 6:宇宙ステーション時代
 


宇宙ステーション時代の宇宙食
 宇宙飛行士が常駐する21世紀初頭運用開始予定の国際宇宙ステーションでは、各国の宇宙飛行士の好みの物がかなり持って行けそうです。日本の宇宙飛行士も常駐する予定なので、和食メニューも大幅に増える事になりますが、これに備えて、日本でも宇宙食の研究開発が進められています。この宇宙ステーションでは食糧はすべて地上より補給される予定なので、宇宙飛行士が自分で料理を作る楽しみは味わえません。

 
スペースシャトルでの食事例
稲の栽培実験(環境研)

将来の宇宙食は精進料理?
 この宇宙ステーションの次と考えられている有人月面基地や有人火星探査船では、食糧を地球から持っていくのは莫大な費用がかかりますので、基地内で物質をリサイクルし、作物を育てて食べるという自給自足の生活をすることになります。この事を考えて、アメリカや日本でも宇宙食用として、カロリーや栄養価などを考えた栽培作物の候補種を選び、栽培実験を進めています。宇宙ステーションではこれらの植物がはたしてうまく育つかどうかを試す栽培実験が計画されています。環境研でも目的は別ですが、青森県から委託を受け、稲、大豆、ゴマ、小松菜等の作物について、栽培条件などを調べる実験が行われており、その成果はこの様な方面にも役立つものと思われます。月面墓地では牛や豚等の家畜を育てるのは難しいので、初期段階では宇宙飛行士は米やパンと野菜類のみを食べる、いわゆるベジタリアン的生活をする事になると思われます。即ち、毎日が精進料理という事になり、肉好きな欧米人には非常につらいでしょうが、ご飯と野菜料理を中心としてきた日本人は十分我慢できるものと思われます。このため、日本人は、月面墓地における記念すべき最初の住民になれる最有力候補となるのではないでしょうか。
(大坪 孔治)

(宇宙食の写真は宇宙開発事業団のご厚意により提供いただいたものです。ここに謝意を表します。)

 
   
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