昨年の11月、大阪府南部で熱帯、亜熱帯原産の「セアカゴケグモ」が大量に発見され、毒グモということで大騒ぎになりました。このクモは、船の積荷にまぎれ込んで日本に上陸し、2、3年前から繁殖していたのではないかと言われています。
 海外から風、海流、渡り鳥などにより自然に移動してきたもの、船、飛行機などに付着したり、輸入品といっしょに運ばれてきたもの、有用な動物、作物、牧草、ペット、鑑賞用植物などとして持ち込まれたもののうち、野生化、定着した生物を帰化生物といいます。

 動物では、コキブリ、アメリカザリガニなどが有名です。釣り魚として分布を広げる一方、小魚などの小動物を何でも食べ、日本の淡水生態系を破壊すると心配されているブラックバスも北米からの帰化動物です。
 植物でも、セイタカアワダチソウ、セイョウタンポポなどが帰化植物として良く知られています。シロツメクサ(クローバー)は、江戸時代にオランダから輸入されたガラス製品の詰め物として持ち込まれ、名前がつきましたが、明治時代には牧草、緑肥として導入され、今ではどこにでも見られる帰化植物となっています。
 ハツカネズミなどの家ネズミ、スズメ、モンシロチョウなどの人里の動物や、イヌビエ、カタバミなど水田、畑の雑草の多くは、高温多湿の森林国日本で農耕が始まり、平原化した所に定着した生物で、草原地帯から日本へやってきた史前帰化生物と言われています。
 外来の生物が侵入、定着するのは、環境の変化がきっかけとなる場合が多いようです。人間活動が国際化して新しい生物が侵入し、さらに開発、都市化などの環境変化が進み、帰化生物にとって好ましい環境が作られた時に定着し、増えると思われます。
 セアカゴケグモは、毒性が弱いため、そのままにされ、帰化生物になる機会が与えられました。しかし、外来の生物が有害であったり、在来種の絶滅など自然に対して悪影響を及ぼす場合は、駆除、根絶が試みられますが、簡単ではありません。気がついた時にはかなり分布が広がっていたり、数が多すぎたり、駆除の方法によっては他の残しておきたい種にも影響を与えたり、定着の一つの原因となった環境変化を元に戻せなかったりするからです。

 
 
ウリミバエ ※写真左(雌) 写真右(雄)
 

 日本に侵入した害虫の根絶を放射線を使って成功した例があります。東南アジア原産のウリミバエです。 1919年の八重山群島での発見を皮切りに、沖縄、奄美大島の南西諸島を北上しました。風に乗って台湾から侵入し、広がったと考えられています。このミバエは、ウリ科、ナス科、マメ科など百種に及ぶ作物の果実に卵を産み、幼虫が実を食い荒らします。そのうえ、これらの食害を受ける作物は、植物防疫法でミバエの生息地以外への移動が禁止されているので、南西諸島の農業振興に障害となりました。

照射室
シロツメクサ(環境研構内)

 ミバエの薬剤駆除は、幼虫が実の中にいるため効果が薄く、さらに他の虫への影響や残留薬剤も心配です。そこでミバエの特徴を生かして放射線が使われました。まず、大量に人工飼育した雄のさなぎに放射線を照射して生殖能力をなくします(不妊化)。次に羽化した成虫を自然界に放します。ミバエは一度しか交尾をしないため、不妊化した雄と交尾をした雌の卵はすべてかえりません。次世代のミバエが減り、何世代か繰り返すとやがて恨絶できます。交尾を利用するのでミバエにだけ有効です。不妊化した雄が野生の雄に比べ少なすぎると効果がなく、割合が大きいほど急激に数を減らせます。大量(数千万匹/週)のミバエの人工飼育や生殖能力だけをなくす放射線量と照射方法の選定などが、この方法の重要な鍵となります。  沖縄県では、1972年に放射線による不妊化を利用したミバエの根絶計画が始まり、那覇市のミバエ対策事業所に人工飼育施設、照射施設などが建設され、1993年にウリミバエの根絶が確認されました。現在、タイとフィリピンでこの方法によるミカンコミバエの根絶計画が国際協力によって進められています。
(小牧 晢)

ウリミバエの写真は、日本原子力研究所高崎研究所から提供を受け、許可を得て掲載したものです。
また、照射室の写真は、沖縄県ミバエ対策事業所から提供を受け、許可を得て掲載したものです。ここに謝意を表します。

 
   
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