1898年にキュリー夫妻がラジウムを発見し、すでに100年が経ちました。どのような経過で見つけられたのかちょっと覗いてみましょう。
 1895年11月8日ドイツのピュルツブルグ大学で放電現象の実験をしていたレントゲンは、放電管から何か目には見えない光線のようなものが出ていて、それが物質を通り抜けることを発見し、この光線をエックス線と名付けました。(環境研ミニ百科第8号)。 その頃、蛍光物質の研究をしていたフランス人のベクレルは、たまたまウラン鉱物とともに引き出しの中にしまっておいた写真フィルムが感光していたことから、ウラン鉱物がエックス線に良く似た光線を放射していることを突き止めました。これはエックス線発見の数カ月後のことでした。そしてこの光線はベクレル線と呼ばれました。さてパリにいたキュリー夫妻はウラン以外にもベクレル線を出す物質があるのではないかと、さまざまな鉱石を使って実験を始めました。そしてピッチブレンドと呼ばれる鉱石が、そこに含まれるウランの量から予想されるよりも、強いベクレル線を出すことを見つけました。早速その物質の分離に取りかかり、ついにウランよりも強い放射能を示す元素を取り出すことに成功しました。キュリー夫人は帝政ロシアの支配下にあった祖国ポーランドにちなんでこの元素をポロニウムと名付けました。
 ピッチブレンドには、ポロニウムだけでなく、それ以外にもウランより強い放射能を示す元素が舎まれているらしいことがわかり、間もなくしてこの物質の分離にも成功しました。これはラテン語の放射能にちなんでラジウムと命名されました。このようにポロニウムとラジウムはキュリー夫妻により1898年に発見されたのです。最初に分離されたラジウムは量も少なく、純度も低かったので、その後3年余りも研究を続け、純粋なラジウムの分離に成功しました。そして分離されたラジウムの放射能を測ってみるとウランの百万倍も強いものでした。この功績によりキュリー夫妻はベクレルとともに1903年にノーベル物理学賞を、また1911年にキュリー夫人がノーベル化学賞を受賞しました。ポロニウムはピッチブレンドの鉱石1トンあたり、0.1ミリグラム以下、ラジウムは約200ミリグラム存在しています。

 
 

写真:明星大学図書館蔵、キュリー夫人実験ノート(1919〜1933年)

 


 元素には化学的性質が同じであるにもかかわらず、質量の異なる同位元素という兄弟が存在します。それらを区別するためには元素名に質量数をつけて呼びます。ポロニウムの同位元素は天然に7種類、ラジウムは4種類が知られています。キュリー夫妻が発見したポロニウムは質量数が210のものです。またラジウムはその質量数が226のものです。いくつかの同位元素とともにそれらの性質を表に示しました。半減期については環境研ミニ百科第33号で解説してありますので参考にして下さい。比放射能は1グラムあたりに毎秒いくつの原子核が放射線を出して崩壊するかを示しています。この数値が大きいほど放射能が強いと言います。 ウラン238とラジウム226、ポロニウム210は、ウラン238と親子関係にあり、ウラン系列の一員です。したがってウラン238が含まれている鉱物中には必す子供のラジウムが存在しています。ウランやラジウムは自然界に広く存在し、兵庫県有馬温泉はラジウム温泉として有名です。またラジウムは医療用の放射線源としても広く用いられてきました。

元素名
元素記号
質量数
半減期
比放射能
(1グラムあたりの放射能)
ウラン
U
238
44.68億年
1.24×104
ラジウム
Ra
226
1600年
3.7×1010
ポロニウム
Po
210
138.4日
1.7×1014

元素の核・放射線に関するデータ

 ラジウム1グラムに相当する放射能量を1キュリーと呼び、長い間、基本の単位として用いられてきましたが、通常使うには大きすぎるので、現在では元素の崩壊1回を基本にして1ベクレルと呼ぶことになっています。1キュリーは37億ベクレルに相当します。いずれも19世紀の最後から20世紀初頭に活躍した2人の偉大な科学者の名前を記念してつけられたものです。
(桜井 直行)

 

キュリー夫人実験ノートの写真は明星大学図書館より許可を得て掲載したものです。ここに謝意を表します。

 
   
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