「何千年前・何万年前ってどうしてわかるの?」
 最近、青森市で発掘された「三内丸山遺跡」が大きな話題になっています。
 この六ヶ所村にも「大石平(おおいしたい)遺跡」などいくつかの縄文時代の遺跡があります。大石平遺跡からは縄文時代早期から後期にかけての土器、土製品、石器、石製品など数多くの遺物が発掘されています。これらの遺物の中には、子供の手形、足形を押しつけた土製品など、縄文時代の文化を考える上で貴重な資料も含まれています。多くの人達の研究の結果、縄文時代の文化の中心は、関東北部から東北地方にあったのではないかとさえ考えられるようになって来ました。

〔考古学と年代測定〕
 古い時代の事柄、歴史を考える学問、特に遺跡や遺物などから当時の人々の生活、文化を考える学問を「考古学」といいます。考古学では、この「三内丸山遺跡」の例で分かるように「何千年前、何万年前」という非常に古い昔のことが語られます。
 皆さんは、こんな疑問を持ったことはありませんか。「何千年前・何万年前というのが、どうして分かるんだろう?」。縄文時代の遺物や遺跡には年号など入っていません。何か不思議な気がしないでしようか。遺物の中に時計でも入っているのでしょうか。
 日本で文字が使われ始めたのは、おそらく5〜6世紀のことと考えられています。今から約1500年ほど前のことです。お隣の中国では、それよりさらに古く、今から3500年以前に遡れるようです。
 それでは、文字による記録のない時代のことがどうして分かるのでしょうか。
 考古学を研究する人達は、これまで様々の方法で時代(時)を考えてきました。そのひとつの方法は物事の順序を利用した方法で、たとえば地層などによって、どちらが新しいのか古いのかを決めます。しかしこれでは何年前という具体的な時を決めることはできません。

 
 

※写真1 巨木の年輪……年輪から、木の年齢がわかります。

 

〔炭素−14 年代測定法〕
 実は、私達の身の回りの生物が造り出した殆どの物に、巧妙な時計が隠されているのです。炭素-14という放射性物質の時計です。炭素-14は、地球の外から来る宇宙線が空気中の酸素や窒素に衝突して、絶えず作られています。良く調べてみると、長い年月、炭素-14は一定速度で作られており、炭素を含んでいる物には、ある一定の割合で存在することが分かってきました。炭素-14は、放射性物質ですので、放射線(ベーター線)を出しながら、窒素-14という別の元素に変わっていきます。このため、炭素-14が新しく補充されない物では、時がたつにつれ炭素-14の量が減り、含まれる炭素-14の割合が変わってきます。炭素-14の量は、約5730年で量は半分になります。さらに5730年たつとそのまた半分、最初の量から見て1/4になります。逆に言うと、遺跡から発掘される遺物の炭素-14の量を測りその割合を調べると、この遺物が作られてからの時間が分かるのです。この方法ですと、だいたい2〜3万年前まで時間を測ることができます。

 
 

※写真2(左) 隆起線文土器(約12,000年前)表舘(おもてだて)1号遺跡出土
※写真3(右) 赤漆彩色壺型土器(約4,000年前) 大石平遺跡出土

 

 鹿児島県屋久島には樹齢5000年を越えるような杉、有名な「屋久杉」が生えています。この屋久杉の年輪に沿って炭素-14の測定が行われ「炭素-14年代測定法」の正しさが確かめられています。現在では多くの考古学試料にこの測定法が応用されています。
 ここで、またまた疑問が生まれてきました。2〜3万年ではなく、もっと昔、例えば恐竜の時代(約2億年前〜6500万年前)はどうやって決めたのでしようか。あるいは、地球が生まれてからの時間は、どうやって測るのでしょうか。
 この様な、長い時間の測り方については、いずれお話することに致しましよう。

(中村 裕二)
六ヶ所村立郷土館の目代館長ならびに高橋学芸員の御好意により、同郷土館蔵の土器のレプリカ2点と、ロビーの訪問者名簿用テーブルになっている青森ヒバの年輪を撮影させていただきました。ここに謝意を表します。

 
   
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