〔車窓から〕
 通勤バスの中から、最初は小川原湖で、次は鷹架沼で、そして尾駮沼でハクチョウを見つけ、頭上を群舞する様を観た時は、大きな感激でした。
 良く観察するとハクチョウの周りには種類の違うカモがいるのに気がつきます。村の鳥であるオジロワシも冬になると北から六ヶ所村にきます。こうした冬鳥は、沼の周りの雪が消える頃、北へ帰っていき、入れ代わりにカッコウ、ホトトギスなどの夏鳥が南からやってきます。そして初夏になるとコヨシキリ(「ギョギョシ、ギョギョシ」と鳴きます)が尾駮沼などにたくさん現れます。また、冬を遥か南方で過ごし、シベリア方面で繁殖するシギ・チドリ類が春と秋に、河口などに立ち寄るのが見られます。
 ちょっと注意をしただけで、六ヶ所村では車窓から、たくさんの種類の鳥を見ることができます。

環境研に隣接する尾駮沼には四季を通じて
たくさんの渡り鳥たちがやってきます。
夏の尾駮沼はコヨシキリの
コーラスで朝が明けます。

〔鳥はなぜ渡るのか〕
 ずっと昔から人々は、ある季節になると鳥がいなくなることにきずいていました。  旧約聖書の『ヨブ記』やホメーロスの『イーリアス』といった最も古い文書にも、近づく冬を逃れて、鳥が暖かい地方に飛んで渡っていくと記されています。アリストテレスは『動物誌』第8巻の中で、ある季節に鳥がいなくなる理由として「ある種の鳥は冬ごもりすることによって冬の寒さを逃れる。」「また別の種の鳥は他の種に変化するために冬の到来と共に姿を消す。この種の鳥は、冬の間渡りもせず、また冬ごもりもしない。」と述べています。その後もこれらの考えが信じられ、16世紀にはウプサラ司教区の大司教オラウス・マグヌスが、越冬中のツバメを2人の漁師が網でひいている絵を論文に掲載し、ツバメは水中で冬を過ごすと記載したことから、鳥は水中で越冬するという説が19世紀初頭まで信じられていました。19世紀に入り、ビュフォンやオーデュポンらによって近代鳥学の基礎が築かれ、足にリングを装着する標識法が行われることによって、急速に渡りの研究がすすんでいきましたが、「鳥はなぜ渡るのか」、まだじゅうぶんに説明しきれていません。
 鳥の渡りの起源について、むかしからある説明はつぎのようなものです。もともとある鳥の祖先が、温暖で餌もたくさんあるところにいたと仮定します。競争が少なくて、たくさん餌を採れるうちはよいが、個体数が増えて餌が不足し、競争が激しくなってくると、競争に弱い一部の鳥は餌を求めて周辺部に新天地を開拓しなければならなくなります。その新しい場所も夏には餌が豊富であるが、冬になると乏しくなり、鳥たちはもとの場所に戻らねばならなくなります。最初、近距離の移動だったのが、そのうち長距離のほうがより有利な条件を得て生き残りやすくなり、多くの子孫を残すようになります。それを繰り返しているうちに渡りの形ができあがったと考えられています。

3月下旬、オオハクチョウは極北シベリアのふるさとを目指して、つぎつぎに旅立っていきます。

〔渡りの形は変わる〕
 「渡り」は鳥たちにとって、よりよい環境を求める探索行動だと思われます。ですから、たまにはどこか変わった方向に移動するのもあるでしょうし、「餌づけ」によつて「渡り」をしなくなるものもでてくるでしょう。長い目でみれば、同じ鳥でも渡りの形は変わっていくのかも知れません。さて、皆さんも、まずは身近な場所で、季節の移り変わりとともに渡ってくる鳥たちを観察することから始めてみませんか。
(一戸 一晃)

 
   
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