下北の広いこの山野がまだきわめて粗放な利用しかされていないのは、やはり夏のヤマセが一つの障壁になっているのではないか。7月から8月にかけて東よりの風が多く、その風は雨雲をひくく海から吹きつけ、海岸から6キロまでの間の山野をおおい、こぬか雨のような雨を降らせる。それが大地を冷たくさせてしまって、真夏だというのにいろりの火がたやせない。それがこの地に住む人たちの生活をどれほど暗くしていることか…。 これは民俗学者・宮本常一氏の紀行文「私の日本地図・下北半島」の一節であるそうです。ヤマセが本県の太平洋沿岸地帯の風土とそこで暮らす人たちにどんなかかわりを持っているかを、的確に言い表していると思います。
このような飢饉は、国内でコメが余っている現在では昔話になりつつある一方で、ヤマセに影響される地帯に住む人たちの暮らしも大きく変化しました。高速道路の整備で大都市への輸送が容易になったことを契機に、この地帯の農業は急展開しています。稲作には諸悪の根元であったヤマセを、逆に低温を好む野菜の生産に利用したのです。日本の多くの農村が米価の低迷で苦悩している中で、ヤマセ地帯は夏のナガイモ・ダイコン・ニンジン・ゴボウ・キャベツなどの大産地に発展させ、ヤマセに負けない農業を築き上げました。この背景には、ヤマセに耐えしのいできた人たちの不屈な精神が活きていることは間違いありません。 (竹村 達男)